PLASの現地活動Positive Living現地レポート

「いま、幸せです」と言えることを誇りに思う。両親の死、いじめ、学校に行けない子ども時代を経て、デリックが切り拓いた未来

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2006年のこと。
ウガンダでの活動で、デリックという男の子に出会いました。

デリックはエイズで両親を亡くし、引き取られた親戚の家でいじめられ、差別され、学校に行くことができず…、壮絶な子ども時代を過ごしました。
そんなデリックが「ひとりじゃない」と多くの人に支えられ、「いま、幸せです」と笑顔で語るようになるまでのお話です。

 

エイズで亡くなった両親

デリックは、アフリカのウガンダ共和国の首都カンパラ郊外で暮らしていました。

幼いとき、お父さんとお母さんがエイズで亡くなってしまいます。
そして、これからどうやって生きていけばいいのか想像できず、不安でいっぱいだったといいます。

両親が亡くなってしばらく経った頃、デリックさんは親戚のおじさんの家に引き取られることになりました。
そこにはおじさん、おばさんと、小学校低学年の子どもたち2人が暮らしていました。

 

食事は残りものしか食べられなかった子ども時代

はじめておじさんの家にやってきたデリックさんは、庭で遊ぶ子どもたちを見つけて「あそぼう!」と声をかけました。
すると子どもたちは一瞬ムッとして、あとずさりしました。

「あれ? いまはあそびたくないのかな…?」と思った矢先、思ってもいなかった言葉が飛んできました。

「お前、悪魔の子だろ!近づくなよ!」

びっくりしたデリックは、その場で固まって動けなくなってしまいました。

おじさんの子どもたちは毎朝学校に行きますが、デリックだけは学校には行かせてもらえず、家でお手伝いをすることになりました。
「どうしてぼくだけ?」と思いましたが、デリックになすすべがありません。

とにかくおばさんに頼まれた家事をこなしていく毎日だったといいます。
朝起きると、まずはその日に必要な水を汲みにいきます。
それから家族5人分の洗濯をして、食事の準備の手伝いをすると、あっという間に1日が過ぎていきました。

デリックの食事は1日1回だけ。
おじさん家族がみんな食べ終わったあとに、残り物を食べていました。

ときには残り物がお鍋に入っていなくて、おじさん家族が食べ終わった後のお皿に残った食べかすを食べました。
たった1人で、電気がない暗い部屋で食事を口に運びます。

たまに家事の合間を縫って外に出かけると、学校から帰ってくる子どもたちとすれちがいます。
そのたびに、学校に行けずぼろぼろの服で裸足でたたずむ自分との違いに心が苦しくなりました。

「どうせ死ぬんだから、学校なんて行かなくていい」

おじさんからは
「エイズの子はどうせ死ぬんだから、学校なんて行かなくていいだろう。ここで暮らせるだけよかったと思いなさい。エイズで親が死んだなんて、恥ずかしいなぁ。お前は疫病神だよ」
と言われました。

「どうしてぼくだけがこんなつらい思いをするのだろう」
と思っていたデリック。
次第に
「そうか、全部ぼくのせいだったのか。ぼくが疫病神だから、お父さんもお母さんもエイズで死んでしまったんだ」
と思うようになってしまったそうです。

笑顔を見せることもなくなり、人と目を合わせて話すことが怖くなりました。
くる日もくる日も家事手伝いでくたくたになり、お父さんとお母さんに会いたいと願いながら眠りについていたといいます。

PLASと出会い、学校へ

2006年、そんなデリックとPLASが出会います。
町でPLASがエイズ予防教育をしているときに偶然PLASのボランティアに出会い、そのボランティアがわたしの元にデリックを連れてきてくれました。

ぼろぼろの服を着て、いつお風呂に入ったのかわからないような汚れた格好。
目はキョロキョロして、うまく合わせることができません。

デリックは両親が亡くなってしまったことなどを話してくれて、最後に「学校に行きたい」と伝えてくれました。
そのときだけ、はっきりとした口調で、まっすぐな瞳でわたしを見つめていました。

それから、保護者(親戚の方)を訪問し、エイズについてや教育についてを話して、「制服が買えないから学校に通わせることができない。制服があれば学校に通わせる。」という話を引き出すことができました。

当時PLASが支援をしていた小学校に学費無償で私服通学できるようにし、デリックにも制服が渡ることになりました。

数ヵ月後、学校へ行くと、デリックが「ルイ!(門田)」と大きな声でわたしの名前を呼び、かけ寄ってきました。

 

覚えたての英語で、学校での出来事を一生懸命話してくれました。
学校に行くと友達と楽しそうに話し、先生が重い荷物を持っていると「僕が持つよ」と、先生のお手伝いを嬉しそうにしているのです。

目が泳いでいた頃からは想像できない、彼の笑顔をみることができました。

その時が、私がデリックの笑顔を初めて見た瞬間です。
そして、デリックは友達や学校の先生に囲まれて、居場所を見つけられたことで、
「生きていていい」
と自分を肯定できたように感じたのです。

 

子どもたちの教育の先にあるもの

PLASではこれまで1,370名以上の子どもたちを支援してきました。
さまざまな支援方法で、子どもたちが教育を受けることができるように奮闘してきました。

子どもたちに教育が必要なのは、それが命を守るからです。
字が読めることで、薬の処方箋をちゃんと読めたり、立ち入り禁止の看板の字も読むことができます。
字が書けることで、大切なことをメモして、忘れないでいられます。
自分の予定をメモすることもできるのです。

そして、教育が将来を切り拓く糧になるのです。

10年後の手紙。「いま、幸せに暮らしています」

それからちょうど10年たったある日、デリックからメッセージが届きました。

PLASのみなさん こんにちは。
僕のことを大きな愛情で助けてくれてありがとう。
皆さんのおかげで、たくさんの夢がかない、いま幸せに暮らしています。
これからもずっとみなさんは僕の大切なともだちです。

デリックの奥さんと赤ちゃんが一緒の3人が映った家族写真と、デリックが働く姿の写真が添えられていました。

 

デリックにとってPLASとの出会いは、暗闇に差した一筋の光でした。

「誰か」が自分を応援してくれている、心を寄せてくれている、その事実がデリックを安心させ、奮い立たせました。

 

一度は笑顔を亡くしてしまったデリックがこうして笑顔で「いま、幸せです」と話せるようになるまで、本当にいろんなことがありました。

両親の死、いじめ、学校に行けない子ども時代…つらいことを丸ごと受け止めて、それでも希望を失わずに前向きに自分の人生を切り拓いて生きるデリックの姿は、PLASが目指す「未来を切り拓く」姿そのものです。

そして、そこには、必ずそっと支えてくれる「誰か」の存在があると思うのです。PLASはそんな存在になりたいと思っています。

(文:門田)