PLASの現地活動プロジェクト-新型コロナウイルス緊急支援現地レポート

新型コロナウイルスに翻弄された1年。パートナー団体スタッフの声①

PLASが2020年4月から実施した新型コロナウイルス緊急支援は、パートナー団体スタッフの「このままでは(私たちのような)貧しい人から死んでしまう」という切実な声を受けて、スタートしました。
今回は、PLASのパートナー団体のひとつ、HIV陽性者の自助組織カユンガのスタッフの声を通して、新型コロナウイルスの影響をうけて、その時何が起こっていたのか、その後どのように立ち直っていったのかをお届けしていきます。

 

「PLASとのパートナーシップをこれからも続けていきたい」カユンガリーダー ジョイ

はじめにお話を聞くのは、カユンガの創設者でありリーダーのジョイさん。コミュニティのヘルスワーカーとしても活動しており、避妊ワクチンを打ったり薬をあげたりと、多くの人々から頼りにされています。
そんな彼女にコロナ禍でのコミュニティの様子や、地域に貢献した際の思いを伺いました。

 

(写真:カユンガリーダー ジョイさん)

 

【コミュニティへのCOVID-19の影響】
①感染拡大当初 ロックダウン時 (2020年3月~5月頃)

「スタッフにとってもコミュニティにとっても困難な時期でした。ロックダウン中は仕事がなくなり、食糧を購入するお金さえありませんでした。移動することも許されず、離れた場所にある畑にも行けませんでした。唯一ボダボダ(バイクタクシー)は7時から14時までの間で食料品を運ぶための移動が許されていたため、配達員に依頼して食糧を手に入れられることもありました。」

 

 

②感染拡大期(2020年6月~12月)

「感染者が未だに減らない状況下で、タウン周辺であるこの辺りの住民の多くが自分の村に帰っていったため、人口が減りました。そんな中で緊急支援を受けることができ、カユンガの活動を再開することができました。PLASと、りさ(PLAS海外事業マネージャー)に感謝しています。」

 

 

③現在(2021年1月~現在)

「状況はだんだんと元に戻ってきました。人々は仕事を再開し、移動も自由にできるようになりました。外出禁止令も午後7:00から翌午前6:00だったのが午後9:00から翌午前6:00までになり、外出できる時間が延びました。PLASの支援によって食糧も手に入れることができました。」

 

Q:感染拡大が始まってから、カユンガにどんな声が届きましたか?

「コミュニティの人々は食糧が手に入らず苦しんでいました。そのため薬を飲むことすらできませんでした。その影響で、SHINE2に参加しているメンバーのMagletさんが亡くなってしまいました。現在は彼女の妹が参加しています。
この悲しい現実を受け止め、食糧が足りないメンバーには、自腹で500gのポショを買い、特にベッドから起き上がれないほど具合の悪い人にはおかゆを届けて、薬をきちんと飲めるように配慮しました。短期間の取り組みでしたが彼らは薬を飲むことができ、その後はPLASの支援が届きました。」

 

Q:コロナ禍ではどんな気持ちで仕事をしていましたか?

「コミュニティワーカーとして、彼らを助けなければと思いました。このままだとこの人たちは死んでしまう!という危機感がありました。」

 

 

【緊急食糧支援の効果】

Q:PLASの緊急支援を実施して感じたことは何ですか?

「メンバーは本当に嬉しそうでした。ダンスを踊ったり、勝利の歌を歌ったりしていました。PLASからまた支援が届くように教会で祈りを捧げた人もいました。」

 

Q:配布をもらった人たちはどんな様子でしたか?どんな言葉をもらいましたか?

「メンバーからは『健康になった、幸せになった、薬をきちんと飲めるようになった、ストレスがなくなった』という声をもらいました。」

 

 

Q:緊急支援と緊急支援の間の受益者の生活はどんな様子でしたか?

「緊急支援を受けた後は、支援がない期間であっても、これからも生きていくことができるという希望がありました。PLASの支援によって、コロナ対策のための手洗いやマスクの着用を続けることができるようになりました。
1回目(6月)と2回目(10月)との間は、人々の生活はまだ苦しく、お金もほとんどありませんでしたが、2回目(10月)と3回目(2月)との間は、以前と比べて生活が良くなりました。」

 

Q:緊急支援が現在の受益者の生活にどんな影響を与えたと思いますか?

「育てた野菜を売ることで、食糧や生活必需品を買うためのお金を稼ぐことができましたが、それだけでは不十分でした。
例えば、野菜の販売で5000シル売り上げたとき、そのお金で買えるのはポショ1kg(2000シル)、油、トマト、石炭などです。男性1人が1回の食事で500gのポショを食べるので、全然足りません。食糧を支援してもらえたのは本当にありがたかったです。」

 

日本の支援者のみなさんにメッセージ

「カユンガのメンバーへの支援に感謝しています。栄養のある食糧とお金を得るために、野菜の栽培や販売などをサポートしてくださったのはPLASです。PLASとのパートナーシップをこれからも続けていきたいです。本当にありがとう。どうか神のご加護がありますように。」

 

 

カユンガスタッフ フィレスター、ジェシカ、アイシャ

次にお話を伺ったのは、HIV陽性者の自助組織カユンガの中心メンバーである、秘書のフィレスター、会計のジェシカ、スタッフのアイシャの3名です。
コロナ禍でのコミュニティの様子や、地域に貢献した際の思いを話してくれました。

 

【コミュニティへのCOVID-19の影響】

①感染拡大当初 ロックダウン時 (2020年3月~5月頃)

「生活の状況はよくありませんでした。ロックダウン中は移動が厳しく制限され、家の外には一歩も出られませんでした。
庭がある家は庭まで出ることは許されましたが、それ以外は隣人を訪ねることさえできませんでした。そんな状況では病気になる人も出てしまい、医師が家々を回って診察していました。お店には規制線が張られ、立ち入ることができませんでした。
ただ家にいることしかできず、食糧がないので、空腹を紛らわせるために水を飲んで寝る、というのを繰り返していました。この時期の生活が最も厳しかったです。

 

②感染拡大期(2020年6月~12月)

「PLASの食糧支援のおかげで生活は少しよくなりました。消毒、手洗い、マスク、感染症対策をするようになりました。キス、ハグ、握手もしなくなりました。マスクをつけないとバスや車に乗ることができなくなりました。」

 

 

③現在(2021年1月~現在)
「移動の制限もほぼなくなり、人々が自由に移動できるようになりました。
しかしバスの乗車人数は最大7人となり、交通費も高騰しています。カンパラからジンジャまで、コロナ以前は7000シルでしたが、コロナ禍では25000シルまで上がりました。
現在は10000シルに落ち着いていますが、それでも以前より値段は高いです。」

 

Q:感染拡大が始まってから、カユンガにどんな声が届きましたか?

食糧不足が深刻で、カユンガのメンバーは『私たちみんな死んでしまう』と訴えてきました。
この地域では多くの年配女性が、孫たちを養っています。みんな1日におかゆ1食とお茶で、夕食に米が少しでもあればいいくらい。あとは寝るだけ、といった生活でした。そんな中リーダーのジョイは、自分のお金5000シルでおかゆを用意し、病気のメンバーや子どもたちに分け与えていました。彼女は私たちのために動いてくれました。」

 

【緊急食糧支援の効果】

Q:PLASの緊急支援を実施して感じたことは何ですか?

本当にうれしかったです。うれしすぎてダンスを踊りました。しかも1回だけと思っていたのにまた支援がくるときいて、大喜びしました。食糧支援がなかったらみんな死んでいました。エイズ治療薬も飲むことができませんでした。PLASのりさ、るいこ、しゅうたろう、かず、本当にありがとう。」
*PLAS文中の名前は、PLASの代表、海外事業担当者です。

 

 

Q:緊急支援と緊急支援の間の受益者の生活はどんな様子でしたか?

「1回目の食糧配布が終わったころ(6月)から2回目(10月)までの間は、仕事がなく生活は苦しかったです。でも2回目(10月)から3回目(2月)の間は、以前より生活はよくなりました。野菜を売って少しお金を稼ぐことができました。」

日本の支援者のみなさんにメッセージ

「私たちはとても幸せです。どうかみなさんに神のご加護がありますように。日本で支援をくださった皆さんに感謝しています。どうかみなさん長生きしてね。」

 

引き続きPLASは、ウガンダ、ケニアに支援を届けてまいります。応援の程、どうぞよろしくお願いいたします。

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