PLASの現地活動現地レポート

ケニアレポート -商社マン理事のケニア事業視察!私が活動を始めたワケ-

写真中央:一宮、右から2番目:ドミニク氏 今回の視察で、現地人スタッフドミニクと。お互い太りました。。

今回&次回の2回の現地レポートは理事の一宮暢彦が担当します。

初めて私の名前を初めて聞く方もいらっしゃるかと思いますので簡単に自己紹介します。
私は普段は商社で海外の発電事業の仕事をしながら、プラスの理事を務めております。プラスの活動は当時大学生だった2007年から関わっており、主にワークキャンプの運営や日本国内での啓発活動を担当し、2008年から理事を務めています。

今回、そして次回の現地レポートは2回にわたって、私が今月上旬に会社の休暇を利用してケニアに渡航した、当会のケニア母子感染予防事業の視察についてお伝えします。初回の今回は、6年半前に今回の訪問と同じ場所、ケニアのウクワラでプラスでの活動を始めようと決意した時の思い出をお話しようと思います。

プラスでの活動のきっかけをくれたケニア、ウクワラ地区

今回訪問した事業地のケニアニャンザ州ウクワラ地区は私のでの活動を始める原点となった場所です。最後にこの場所を訪れたのは6年半前のプラスのワークキャンプでした。2007年2月にワークキャンプでこのウクワラ地区のマシワ小学校に3週間弱滞在しました。
キャンプではエイズ孤児を含めた地域のこどもたちの就学支援を行う農業事業のための畑を作ったり、地域のHIV/エイズの予防啓発を兼ねた小学校の学芸会の運営を手伝ったりしました。

今回渡航時。赤土の道路が懐かしい。この道沿いにマシワ小学校がある。

当時の私は国際協力なんて一切縁のない「普通の大学生」でした。ワークキャンプに参加した動機も「とりあえずアフリカを見てみたい。」という他の参加者に比べると軽はずみなもの。当時大学生活2年目を迎えるところで、バックパッカーに憧れていた私は長期休暇の度にアジアやヨーロッパに旅行に出かけ、軽い気持ちで次はアフリカだと考えていた時に、たまたまこのワークキャンプをSNSで見つけて参加しました。

決定的瞬間

そんな私を動かした、決定的瞬間がキャンプ中に数回ありました。

1つ目はキャンプ中に地域の家庭訪問を行い、実際にHIV陽性の母親で、子どもを育てている方に話を聞いた時のことです。
家庭訪問では、現在の生活の状況や将来の計画など我々が投げかけた質問に真摯に答えてくれました。特に印象だったのは、将来の話をした時に涙ながらに「仮に自分がエイズで死んだとしても子どもに教育を受けさせたい」と語ってくれた瞬間でした。
20分~30分程度のやりとりでしたが、自分の今までの人生でこんなに短時間で他の人の人生に入り込んだ経験はがなく、面談後、若干の充実感とともに「知ってしまった」という何かひっかかって離れない気持ちが心の中に残りました。

また、もう一つの契機はキャンプ中に当時地域のリーダーとしてエイズ孤児の問題に取り組むドミニク(現在プラスの現地人スタッフ)に会ったことです。「地域の中で比較的十分な教育を受けた自分が地域のために行動を起こさないといけない」「日本でエイズ孤児の現状を伝えてほしい」という彼の情熱は自分にとってはまっすぐ刺さり、これもまた何か自分の中にひっかかるものがありました。

2007年ワークキャンプ当時の写真

そしてプラスで活動することを決意

これらのひっかかりは一緒に日本から参加したワークキャンプ参加メンバーも同じ感覚を持っており、キャンプの最後に「この旅は行ってよかった、楽しかったというだけで終わらせてはいけない。自分のできることをしないといけない。」ということで意見が一致しました。
一緒に参加したメンバーの多くは国際協力や保健医療などですでに自分がエイズ孤児に何らかの関わりを持つ場所をすでに持っていた一方で、何も持っていない自分はとりあえずプラスで自分のできることをやってみようと決意しました。
軽い気持ちで行ったアフリカがまさか片足どころか両足をがっつり掴まれ、今も掴まれっぱなしになっているとは当時は予想もできませんでした(笑)

ここまでが私がプラスで活動を始めるきっかけとなった6年半前のエピソードです。

今回久しぶりに全てが始まった場所であるウクワラを訪れ、自分にきっかけをくれたドミニクにも会うことができ、改めて初心を思い返すことができました。思い出話になりましたが、次回は現在の母子感染予防事業の状況についてお伝えしようと思います。

文責:一宮暢彦

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