Positive Livingワークキャンプ

2007年夏ウガンダ・ケニアワークキャンプに向けて

2007年夏ウガンダ・ケニアワークキャンプに参加される、浅野拓也さん、山田修平さんからワークキャンプに向けたエッセイを頂きました。
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≪ウガンダワークキャンプ参加・浅野拓也さんのエッセイ≫
あと、1ヶ月。1ヵ月後には、僕たちはウガンダにいる。
正直なところ、まだ実感がない。

ただ、今から早く行きたくて仕方ないと言う気持ちはある。
2日間の事前研修において、本当に素敵な仲間と出会えた。
この人たちと2週間ウガンダで生活をともにし、悩み、行動していけるのだと思うと、それだけでワクワクしてくる。
自分がこのワークキャンプに参加しようと決意した理由。
それは、今まで国際関係などに自分なりに興味を持って勉強してきた中で、それが勉強のための勉強というか、本などで勉強してきただけで、間接的にしか問題を語れない自分に歯がゆい思いがわいてきた、ということがある。

だからこそ、実際に現地に行って、現実を見て、感じて、触れて、そして自分に何ができるのか、ということを探してきたいという思いがあった。
この地球上において自分という人間はあまりにも小さく、はかなく、取るに足りないちっぽけな存在かもしれない。
でも、そんな自分にほんの少しでもできるのであれば・・・

かつて、ブルキナファソの革命家であり、アフリカのチェゲバラと呼ばれたトーマスサンカラはこう言った。
「私が人間であって、人間である限り
この世界で起きているすべてのことは私と無関係ではない。」

ぼくたちは、いま、何の疑いもなく「明日」を前提に「今日」を生きている。
でも、世界には「明日」が保障されておらず、「今日」生きるのに精一杯な人が多くいる。
ダルフールにおいて民族浄化の危機にさらされている人たち、1日1ドル以下で生活し飢えに苦しむ10億人を超える人たち、そしてエイズ孤児。
例を挙げればきりがない。
私たちがこうして日本にいる限り、幸か不幸かこういった事実を実際に垣間見ることは多くない。

しかし、これらのこともぼくたちと無関係なことではない。
だからこそ、こうして、アフリカに行き、彼らと出会う機会を得られたことを幸運に思う。
エイズ孤児の現状を直視したい。
厳しい現実にもかかわらず、目に希望を写し毎日生きている彼らの瞳の奥には何が見えるのか。
そして、日本にいると見失いがちな「自分」という存在。
そして、そのちっぽけな自分にできること。
これらを探しに、そしてはるかなるアフリカの大地にあるであろう
「何か」を求めて・・・

行ってきます。

浅野 拓也

 

≪ケニアワークキャンプ参加・山田修平さんのエッセイ≫

ワークキャンプに参加しようと思ったきっかけ、それはとある写真展での出会いであった。
それは今回の舞台であるケニヤを題材にしたものではなかったが、一般に発展途上国とか後進国だとか言われる国におけるそれであった。
スラム以下の生活、砂埃舞う道程からは我が国での生活風景は想像できない。
しかし、そこに生きる人々の目は何よりも輝いていた。今日を精一杯生き、明日に夢を抱くような目。
そこに現代の日本人が無くしているものがある気がした。
今の生活とはかけ離れた空間をフィルターに自分を客観視してみたくなった。
そして何より彼らと交わり価値観を共有してみたくなった。

今回私が訪れるケニヤのウクワラの学校は半数が孤児であり、その75%がエイズ孤児である。
彼らは現地の人々のHIV/AIDSに関する知識の欠如のせいで差別を受けたり、自身の中にスティグマを抱えている。

HIVは感染し発症することによって免疫不全を生じるが、ともに生活する上では感染の危険性はほぼゼロといっても過言ではない。
同じ土に生き、そこに根を張る者どうしがHIV/AIDSに対する知識不足、
たったそれだけですれ違ってしまうなんていう現状は悲しすぎる。

私は今、大学で医学を専攻している。
今回のキャンプが将来の行方の選択肢になればそれはそれでいい。
ただ、そんなことよりも今私にできることが5年後、10年後の礎になればいいと心から思う。

現地で人々と心を通わせ、楽しい時を過ごし、その地に必要な「何か」を残せたらそれ以上の幸せはない。
「目先の少数に手を差し伸べて何になる。」そんな意見もあるだろう。
でもその一歩が今の地球には必要であり、それがPieces For peaceになると信じている

そしてその大切な「何か」に形を持たせるためにも、今回のワークキャンプは私にとっても大切な時間として心に留めていたい。

山田修平